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3 「コリアンアタック」Part.1

話はマチュが怪我をする少し前にさかのぼる…
松井監督「なんかイケそうやで」
渡辺「マジっすか?」
1998年12月に行われたアジア大会
その影響も有りジャパンオープンは
例年の1月開催から4月開催に時期が変更されていた。
松井監督「かなり少ないらしいで」
橋本「もしかして…」
基本的にジャパンオープンに参加できるのは
ナショナルメンバー/ジュニアナショナルメンバー
前年の全日本総合ベスト4以上…であったが
海外からの参加状況により多少変わることはあった。
そして、1999年のジャパンオープンは…
海外の参加者がメチャメチャ少ないと言う情報が流れてきていた。
松井監督「とりあえず言ってみるわ…。」
---数日後---
松井監督「みんな出られるみたいやわ。」
全員「スゲー」
シングルスで 渡辺・岸田・橋本・川口
ダブルスで 岸田/平井 川口/松井
ミックスで 平井/貴田
案の定、代々木体育館には日本人がウジャウジャいた。
「あれオマエも?」
「君も来てたの?」
いたるところでそんな会話。
当然である。トーナメントの約半数が日本人だったのだから
(シングルス 27/64  ダブルス 27/48!)
それでも、参加者はワクワクしていた(と思う)
当時、ジャパンのユニフォームで試合できる機会は
ナショナルメンバーに選ばれる以外は
全日本総合でベスト4以上に入りジャパンオープンに出る!
…しか無かったのだから。
(ジュニアナショナル<現ナショナルB>は別ですよ…)
そして、トーナメントドローをみると…


・・・つづく



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ジャンボーグ

Author:ジャンボーグ
---バドミントン経歴---
唐崎中(滋賀)
比叡山高(滋賀)
京都産業大(京都)
NTT関西(大阪)
NTT西日本大阪(大阪)
大阪トリッキーパンダース(大阪)

現:無所属(大阪府実連)

利き腕 : 右
ラケット : Babolat SOLAR 2

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